おっさんにメタモルフォシス

 鏡で自分の顔を見るたびに老けたなって思うんですけど、過去からの連続性は感じます。ところがその連続性を断ち切るかのように時おり”おっさんの顔”が姿を現すのです・・・。ぎゃっ。

 他人でもそのパターンありますよ。知ってる人ほど頭の中のイメージを通して見るようになるから、ふとした時に「あれ」ってなるんです。

 私、容姿の老化のことを”劣化”って言うの前から嫌いなんですけど、”劣化”と言う表現がある上で”変化”があるなら、”変化”の方がまずい気がしてきました。

 “おっさん”へのメタモルフォシス。そして”おっさん”の次は”おじいちゃん”。性的な存在からどんどん遠ざかっていきます。”イケてるおっさん”もいますが、彼らは若い頃からイケてたんですよ。

 “おっさん”になって何が辛いって容姿の変化もそうですが、中身をそれに合わせないとキツくなることですね。色々と遅れがちな私にはとてもしんどいんです。若い頃は自動的に変わるものだと思っていたのに。

 イタくならないように”おっさん”の自覚持たなきゃと思うのですが、私の場合中身がともなってないので、ポーズになってしまい結局他人をイラつかせる気がします。うまく軟着陸できればいいんですけどね。とりあえず現実で自分のことをおっさんと呼ぶのはやめておこうと思います。  

 

ここで一曲。私、中二心を忘れてません。

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出遅れ感

 恥ずかしいんです。私は昔から他人より出遅れている自覚があって、私が「この年齢になって理解った」と言うと、周りから「え、今更?」と思われると思うんです。それもあってここで年齢公表してません。潔くないですね。

 私、経験信仰があって、恋愛もセックスも経験ある人の方が自分より先に行ってると感じるんです。だから自称経験豊富な人から深みを感じられない時のガッカリ感は半端ないです。 最近になってやっと、経験が人をマシにするわけじゃないんだなって解ってきました。やっぱりすごく遅いんですよね。

 私は大して学もないし、書いたものを他人に見せるってすごく恥ずかしいです。ですがセクシャリティ絡んだ話など現実で言えないことが溜まっていたので、ガス抜きが必要になったんです。なので今回も黒歴史作ってるなと思いながらブログ書いてます。

ξ 恋とは肩を落とした人の記号です ξ

恋、恋恋恋!私が恋しちゃ悪いかよ、え?同じヒト科に恋しちゃ悪いかって言ってんだよ!ノンケかどうかなんて知らないよ。落ちるときには落ちてしまうものなのさ。

 

私いま身の回りのひとに恋してません。ずっと昔のことですよ、私の片想い。

素敵な彼。変わり者の彼。明らかに浮いてた彼。

あたい、恋した相手とはエッチしたくならないなんて、初めて知ったよ。

辛くて苦しくて、どうしようもなかった。

嫌われるのが怖くて、ろくに関われなかった。

ろくに関われないまま、学生生活を終えてしまった。

彼がどこに行ったかなんて知らない。

もう永遠に会うことは・・・ない。  

 

★★★   

 

 などと思いつつその後も年に一回は彼のフルネームで検索かけてたんですよね。もう本当にやることが気味悪くてすみません。そしてある時ふと思いついて下の名前で調べたら、年齢やその他の情報が一致する人が出てきたんです。でも本人か否か判断できませんでした。だって体のカタチが違いすぎたから・・・。

 見つけた時はすごく確認したい衝動に駆られました。しかし向こうはメッセージを受け付けていません。どうにかして・・・と思っているうちに日々は過ぎ、段々とどうでも良くなってきました。

 もう自分の中でその人が彼だということになってきていたのです。その人、見た目は違うし書いている内容も攻撃的。同一人物と考えると、あの時の記憶がすごくしょうもないものに思えてきました。

 もしかしたら、かつてのイメージのままの本物の彼がどこかにいるのかも知れません。しかしそれを確かめることが出来ない以上、私の気持ちは戻りません。いつまでもしつこい私にはこれで良かったのです。

 

 肥意バナ・完

私・僕・俺

 普段の一人称は「私」ではありません。「僕」か、不自然にならない感じで「自分」を使います。何でブログでこうなるのかと言うと、自分の気持ちを文章にしてると、ちょっとセンチメンタルな気分になるからでしょうか。チン毛のこととか書いてますが。

 よそ行きだからとかではなく、昔書いてた片思いポエムも丁寧語で「私」でした。あの時のノート、ガムテープを巻き付けて処分したのでもう存在しませんが、当時の私の悲惨なセンチメンタルが詰まってました。

 「俺」という一人称は私には似合わないそうです。自分でも分かっているので今まで一度も使ったことありません。「俺」って言っても違和感のない男になりたかったんですけどね。

 現在の私の性自認は「男」ですが、長いことあやふやでした。なので特に思春期の頃は一人称の使用に困りました。いつから「男」の自認が強まったのでしょう。男ということで理不尽な気持ちにさせられた際に、「何で自分が・・・」から「お前何様?」と思うようになった頃でしょうか。

 性別は「男」と言えても、私自身は「男らしく」はないと思います。だから「野郎」という表現は自分事とは思えません。もし私が「俺、〇〇野郎ッス」なんて口走るようになったら、病院への搬送が必要な時でしょうね。

脱ぎは別に・・・

 ゲイだろうがノンケだろうが性的対象の「脱ぎ」を期待する声って多いですよね。「脱ぎ」ってそんなにいいものなのでしょうか。よくわかりません。

 一応どうなってるのか確認のため見てみたいという気持ちは私にもあります。でもそれ以上は、見たって私には関係ないし。

 アソコに関しても似たような態度です。見るだけなら関係無いし。

 むしろトイレでお互い見えるのが恥ずかしくて嫌です。最近の小便器はなんであんなスタイリッシュな形になっちゃったんでしょう。

 たまに「ゲイは更衣室や銭湯で見放題だからいいよな」という意見を見ますが、私ぜんぜん得してません。どちらかと言うと裸になる場所って臭かったり汚かったりするのでイヤです。

 もっと実際に裸で触れ合う機会があれば変わってくるのでしょうか。別に脱ぎへの興味を強めたいとは思わないのですが。

ニオイで下げ

 日常で素敵な男性を目にして心が動いた時、私がすること。嫌なニオイを想像するんです。

 臭いフェチじゃないですよ。汗臭口臭染み付いたタバコ臭どれも嫌いです。酸っぱい葡萄っていうんですか?気分を下げて心の平穏を保とうとしているのです。妙なゲイから勝手に臭いやつ認定される男性もたまったもんじゃないですが。

 ニオイって結構記憶に残るもので、実際ニオうとそれが相手のイメージになったりするんですよね。

 どこかの国の刑務所かなにかで悪臭が利用される様子を、テレビで見たことがあります。性犯罪者の更生のために、関心のある画像を見せながら悪臭を感じさせるんだとか。見たのは結構前なんですが、あれ結局効果はどうだったんでしょうか。

 さすがに実際のニオイでの関連付けは私には必要ありません。

 

 ニオイニオイと悪く言いますが、好きな相手の薄い体臭が嫌なニオイに感じないというのはわかる気がするんです。

 私がニオイを発していたところで万人に嫌われるだけなので、私は無臭を目指します。商品を選ぶ際はいい香りではなく無香料を選びます。炭酸◯ブの香りがする男子に憧れて、浴槽のそばに上着を吊るした人間はもうここにはいません。

ババージンの嘆き

 画面に男性たち。こんなにいるのに誰も私を選ばない・・・いや、いるからこそ私を選ばない?

 私は人を選ばないのかというとそうでもない。私のくせに生意気ですね!別に高望みしてるつもりはないんですよ。最低限って誰にでもあるんじゃないですか?私がそれに引っかかる?チクショー。

 高齢童貞や高齢処女ってもっと上の世代かと思ってたら、20代を過ぎるとそう呼ばれるみたいですね。てことは既に私は高齢バージン。ババージン。新手の妖魔でしょうか。

 20代男性では4割あるという童貞率も、30代だと1割未満まで下がるんだとか。これゲイに絞るとどうなるんでしょう。セックスのハードルが低いと言われるゲイで、ポジション問わずバニラも含めたらもっと下がるんじゃないでしょうか。ババージン希少種?

 私、安易な行為に走らずこの歳まで清い体保ってきたんですよ。ゲイだから子作り関係ないでしょう、ちょっとぐらい優遇してください。バージン割とか?受付でバージン証明書を提示するんですね?

 アホなこと考える暇あったら筋トレでもしとけって話ですよ。あ〜あ。さっさと諦めて自分なりの幸せ模索していく筈だったのに・・・。ちょっと振り向いてみただけのババージン〜。首んとこシワシワになりますよ。