精液恐怖症

  開設してから一年経って相変わらず私ヴァージン。もう私、言います。ここだけの話・・・。

 私、精液恐怖症。精液恐怖症なんです。私がハッテンとかしないのはモラルの高い清純派だからなのですが・・・・・・なのですが、こういう大きな理由があったんですね。

 ゲイでこれだとまずいですよ。何せ行為の時は二人分ですからね。まあ、男女間でも後から漏れてきたとか検査のために出したとか痴漢につけられたとか色々大変そうですが・・・。

 元々、イクということに怖さを感じていたんです。イクって非日常で、子作りも関係してて神秘的なものに感じたのです。そしてそこから出てくるものも神秘の物質ということで怖くなり、そのうち神秘とは関係なく完全に恐怖の対象となってしまったのです。

 健康な男子なら一人で致すのは普通。でも他人の口からそれを耳にしてしまうと、うわこの人、目に見えないけどまみれてるんだとか思ってしまいます。拭いたやつをため込んでるなんて聞いた時は軽く目眩がしました。

 いくらなんでも他人にするなという訳にはいかないので、せめて自分は出したくないと思うのですがそうはいきません。定期的に出さないと用を足す時とかに精液が出てくる確率が高まるのです。外(出先)で出てしまうと下着への付着が気になって、一日色々なことが手につかなくなってしまいます。私にも生理休暇ください。

 完全に洗い流せれば一応大丈夫なんですが、ついたものによっては中々落ちなくて困ります。そして洗い流せたと思ったらどこかにいつまでも留まってたりするのです。特にニオイは落ちにくくて最悪です。

 どうせ子作りしないんだからもう精液なんていらない!とまで思って一時期パイプカットも考えたんですが、あれ精子が出なくなるだけで液は出るんですね。もう液自体が怖い私には無意味なようです。

 こんな状態で私、恋人募集してたんです。このこと書いてなくて相手に失礼だとは思うのですが、経験したことないから、もしかしたらこの人と思える人とすれば克服できるのではなんて考えたのです。もちろんそのために恋人募集したんじゃありません。しかし行為が原因で悪くなったという記事をいくつか見て、やっぱり私には無理かもと思うようになってきました。

 そもそも恐怖症の有無に関わらずお声のかからない私。いま現在は同性より恐怖症の克服が望みです。

「ゲイ」になろうとしたゲイ

 若い頃うまくいかず迷走していた私は、ゲイらしさに救いを求めようとしました。

 ゲイらしいゲイになれば幸せになれるような気がしたのです。オネエ言葉でものを考えてみたり、吉原炎上なんかの作品を”履修”してみたりしました。パッとしない自分でもゲイの一員という気持ちを味わいたかったんでしょうね。結局内面をどうこうしても外見を変える事はできず、特に人生が良い風に変わると言うことはありませんでした。むしろ諦めた後も生活で後遺症が残り困ってしまう始末。   

 

 理想のゲイらしいゲイとは、華やかに自由を謳歌する存在でした。もっと言うとヤリ◯ンパリピこそがゲイの目指すべき姿で、そうならないといけないと思ってました。寿命短そうなのも、人生太く短くがかっこいいとか思ってました。   

 

 残念ながら私はそんなゲイの対極の存在として、細い人生を歩んでいくしかなさそうです。別にああなる必要はないと思うようになった今でも、ああいうゲイだったら今頃どんなだっただろうと時々考えてしまいます。

 ゲイメディアは見ると疎外感を感じるので避け気味です。ゲイニュースで明るい話題があると気持ちが軽く高揚するのは否定できないのですが。

お前もヴァージンゲイにしてやろうか (※近況)

 ごめんなさい言ってみたかっただけです。深い意味はありません。ていうか意味が分かりません。

 私未だにヴァージン。まあこのご時世だし?活動も制限されてるし?動きがないのは仕方ないですよね?

・・・・・・。

 実のところ脱ヴァージン自体への熱意というか焦りは以前よりも薄れてるんです。

 数年前なんか「もういっそウリ専に奪ってもらおう」と真剣に考えて準備までしていたのに。結局未遂に終わりましたが、その時に色んな余計な情報を仕入れてしまったせいで行為への不安が強くなってしまいました。

 そしてブログ始めてからヴァージン連呼してるうちにそれが自分のアイデンティティになってきてる気がします。ヴァージンじゃない私は私じゃないみたいな?これはまずい。

 ヴァージンどうこうより恋人が欲しいんですよ。しかし私は他者と関わることがストレスになる人間。通知がないとどうせ私なんかと怨みを募らせる一方でホッとしてしまうんです。本気で恋人探す気あるのでしょうか。

 でも愛する人から肯定されて幸せになりたい。それが叶う人は世の中どれほどいるのでしょう。恵まれないのは私だけじゃない私だけじゃない、そういって自分の心を慰めながら寒さに耐える冬の日々です。

知って残念

 残念。私、気になったアーティストがいたので名前を検索したら、こんな記事が。

 https://hornet.com/stories/chris-sevier-marry-a-laptop-2/

 同性婚の不自然さを訴えるためにノートパソコンとの結婚を認めさせようとしていたとか・・・。

 他にもアンチゲイ活動家として色々やらかしているそうです。

 私が普段聴くアーティストにもゲイ嫌いな人っているはずなんですが、知らなければいいんですよ。今回知ってしまった上にパンチ効いてるのでこれはもう駄目です。

 とりあえず曲は聴かなかったことにしました。

男心?ゲイ心

 中学でゲイを自覚したので割と早い方だと思う私。高校の頃柔道の授業があって、寝技の練習でイケメンと呼ばれる男子から押さえ込まれ続けたのですが、その間私はゲイってこういうの嬉しいって思ったりするんだろうかと考えてました。私は全然嬉しくなかったんですが、そういう人間に思われたらどうしようと考えたら緊張で息が苦しくなって、早く終われと思ってました。ノンケ男女でもただ気まずいだけで終わるのでは。

 前にも似たようなことを書きましたが、意識するとだめなんです。女性と関わる時も、相手や周囲から私が性的関心を持っていると思われているのではないかと思うと、緊張して様子がおかしくなってしまいます。女性への性的関心は無いのにです。

 柔道の授業ではその後、乱取りで数名の男子から激しく道着を乱されることとなりました。つまり無様に連敗したということです。ただただ屈辱。

 こんな私でも同性への対抗心は一応あるんです。見知らぬ男性と目が合って「何お前」という顔をされる時、私も「何お前」という顔をしています。しかしそこで相手がかっこいいと、後で自分の髪型が気になったりするんですよね。あほくさ。いえ、ゲイ心は複雑ですね。

技術の進歩

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 昨今の技術の進歩には怖さを感じるのですが、まだまだなところを見ると少し安心します。

 ただ私、SFでよくあるリアルなヴァーチャル世界に飛べるやつなんかには夢を抱いてるんです。

 現実で恋人を作ることは諦めてませんが、最終生きているうちにああいうのに頼ることができたなら悔いなくあの世にいけるような気がします。

 まあ私はネガティヴなので、仮に実現できたとしても某漫画みたいにドーンされる結末を想像してしまいますが。

日陰の発信基地より

 自分でもブログ書くようになってから、久々に他のゲイブログも覗いたりするようになりました。そこでついつい最初にやってしまうのが書き手の恋人・性経験の有無の確認。有りだともう読む気を無くしてしまいます。そんなことしてるからどこも読める所がなくなってしまうのです。恐るべき僻み根性。やはり私は孤独のヴァージン、あの時の認識は正しかった、と自己憐憫に浸りつつブラウザを閉じます。何やってんだか。

 しかし、カップルが堂々と自分たちの様子を書いてたり人によっては自画像を載せてたり、それができるのは社会がそれだけ同性愛に寛容になったということなのかも知れません。光あるところには陰あり。私のブログはテーマパークの裏のアバラ屋のような存在なのです。

 気がかりなのはGoogleに中々インデックスされないことですね。自分でアバラ屋とか言っておきながらおこがましいですが、しかしかつての自分のように「ゲイ 未経験」で検索して結果に軽く絶望した、孤独なゲイの一時の心の慰めになればなんて思ったりする訳なんです。逆効果?一緒にするなって?はい、もちろん自己顕示欲もありますよ。

 書くという行為そのものは完全に自分のためです。内容は薄いし更新頻度も低いですが、せめて開設から一年は続けたいと思っています。その間に私に奇跡が起こったりしなければ。今年こそは彼氏欲しいです。以上です。